東京地方裁判所 昭和58年(行ウ)103号 判決 1988年12月19日
東京都千代田区神田須田町一丁目一六番地
原告
吉村株式会社
右代表者代表取締役
山林千代子
右訴訟代理人弁護士
佐藤義行
同
宇佐見方宏
東京都千代田区神田錦町三丁目三番
被告
神田税務署長
吉松希四郎
右指定代理人
岩田好二
同
小林康行
同
棚橋新作
同
菱田次男
同
池田隆昭
主文
原告の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告が昭和五六年六月五日付けでした原告の昭和五〇年七月一日から昭和五一年六月三〇日までの事業年度以後の法人税の青色申告承認取消処分を取り消す。
2 被告が昭和五六年六月三〇日付けでした原告の
一 昭和五〇年七月一日から昭和五一年六月三〇日までの事業年度(以下「五一年六月期」という。)
二 昭和五一年七月一日から昭和五二年六月三〇日までの事業年度(以下「五二年六月期」という。)
三 昭和五二年七月一日から昭和五三年六月三〇日までの事業年度(以下「五三年六月期」という。)
四 昭和五三年七月一日から昭和五四年六月三〇日までの事業年度(以下「五四年六月期」という。)
五 昭和五四年七月一日から昭和五五年六月三〇日までの事業年度(以下「五五年六月期」という。)
の各法人税の更正及び重加算税の賦課決定をいずれも取り消す。
3 訴訟費用は被告の負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
主文と同旨
第二当事者の主張
一 請求原因
1 青色申告の承認の取消処分
一 原告は、法人税の確定申告を青色申告書により提出することについて、被告の承認を受けていた同族会社である。
二 被告は、昭和五六年六月五日付けで右の承認を取り消す旨の処分(以下「本件取消処分」という。)をした。
三 原告は、本件取消処分について、東京国税局長に対し異議申立てをしたが棄却され、国税不服審判所長に対してした審査請求も棄却された。
四 しかしながら、本件取消処分は違法である。
2 更正及び重加算税の賦課決定
一 原告は、五一年六月期から五五年六月期までの各事業年度の法人税について、別紙第一の1ないし5の各表の<1>欄(以下「各<1>欄」のようにいう。)記載のとおり確定申告をしたところ、被告は、同各<2>欄記載のとおりそれぞれ更正及び重加算税の賦課決定(以下、それぞれ「本件更正処分」、「本件決定処分」といい、これらの処分を合わせて「本件各処分」という。)をした。
二 原告は、同各<3>欄記載のとおり東京国税局長に対して異議申立てをしたが、同各<4>欄記載のとおりいずれも棄却され、次いで、同各<5>欄記載のとおり国税不服審判所長に対して審査請求をしたが、同各<6>欄記載のとおりいずれも棄却された。
三 しかしながら、本件各処分はいずれも違法である。
3 よつて、原告は、本件取消処分及び本件各処分の取消しを求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1の一ないし三の事実は認め、同四は争う。
2 同2の一、二の事実は認め、同三は争う。
三 被告の主張
1 原告の事業の概要
原告は、肩書所在の本店及び東京都中央区日本橋馬喰町一丁目五番地所在の営業店舗通商ラスパイユ店(以下「ラスパイユ店」という。)において、婦人服、同服地等を扱ういわゆる現金問屋を営む同族会社けあり、その実質的な経営者は、原告の監査役となつている訴外吉村徹穂(以下「吉村」という。)である。
また、大阪市東区谷町二丁目二七番三号に、原告と同様に婦人服、同服地の卸し問屋である訴外株式会社吉村商会(以下「吉村商会」という。)が存在するが、その実質的な経営者も吉村である。
2 本件取消処分の適法性
被告は、原告の五一年六月期から五五年六月期までの所得金額について調査したところ、吉村が所持し、記録していた昭和五〇年から昭和五五年までの各年ごとの合計六冊の手帳(以下「吉村手帳」という。)と関係帳簿書類の内容とを比較検討した結果、後記5記載のとおり、原告が売上伝票の一部を破棄するなどして、右各事業年度において多額の売上金を除外し、その除外した売上金が記載されていない関係帳簿に基づき、所得金額を過少に記録した確定申告書を被告に提出していたことが判明した。
そこで、被告は、原告の右売上除外行為が法人税法一二七条一項三号に該当することから、原告の五一年六月期以降の青色申告の承認の取消処分を行つたものである。
3 本件更正処分の根拠及び適法性
原告の五一年六月期から五五年六月期までの所得金額は、別紙第二の1ないし5の各表Ⅳ欄記載のとおりであり、いずれも原告の確定申告に係る所得金額を基礎として、これに右各表記載のとおりそれぞれ加算、減算して得られたものである。
各項目の内容は次のとおりである。
一 売上計上漏れ(各期)
吉村手帳には、原告の各店舗の各年別、各月別の数字が一覧表様式で記載されていた。この記載のうち、「A. KONTO表」(昭和五〇年ないし昭和五二年)「ZWKONZeichnis表」(昭和五三年)、「ZWKONZeich表」(昭和五四年)、「ZeichZWKOns表」(昭和五五年)、(以下これらを総称して「A. KONTO表」という。)の内容は、別表1の一覧表のとおりである。そして、調査の結果、その一覧表の各「2欄」記載の数字が原告の各店舗の売上除外額を万円単位で記載したものと認められた(後記5参照)。
そこで、被告は、各期の売上計上漏れの金額について、同別表の各「2欄」記載の数字の合計をそれぞれ求めて認定したものである。ただし、五五年六月期については、同様の方法で計算した金額から、原告が後に公表帳簿に計上した四七三万〇九三〇円を控除した後の金額である。
二 価格変動準備金積立額否認(五一年六月期、五二年六月期、五五年六月期)
被告は、本件青色申告の承認の取消処分によつて、原告が五一年六月期以降の事業年度につき、租税特別措置法(昭和五一年法律第五号による改正前のもの)五三条(価格変動準備金)の適用要件である「青色申告書を提出する法人」に該当しないこととなつたため、五一年六月期、五二年六月期及び五五年六月期の価格変動準備金積立額の損金算入を否認したものである。
三 価格変動準備金戻入益否認(五二年六月期、五三年六月期)
被告は、原告が前期に係る価格変動準備金積立額の戻入益として益金に算入していた五二年六月期及び五三年六月期について、二のとおり価格変動準備金の損金算入を否認したことに伴い、これを益金の額から減算したものである。
四 繰越欠損金当期控除額否認(五五年六月期)
被告は、原告が欠損金が生じたとする事業年度である五三年六月期及び五四年六月期について、昭和五六年六月三〇日付けでそれぞれ行つた更正処分により欠損金が生じないことになつたので、五五年六月期における繰越欠損金控除額を否認したものである。
なお、原告の五一年六月期以降の事業年度については、2で述べたとおり、青色申告の承認が取り消されたので、この点からも法人税法五七条の適用は受けられないことになる。
五 福利厚生費否認(五一年六月期ないし五三年六月期)
これは、いずれも、吉村の自宅で使用した家政婦の費用であり、原告の損金とは認められないものである。
六 消耗器具備品費否認(五五年六月期)
これは、吉村の自宅に設置したクーラー及びクリーンヒーターの購入代金であり、原告の損金とは認められないものである。
七 水道光熱費及び通信費否認(五五年六月期)
これは、吉村の自宅で使用したガス、水道、電話の料金であり、原告の損金とは認められないものである。
八 役員報酬認容(五一年六月期ないし五三年六月期及び五五年六月期)
これは、五一年六月期ないし五三年六月期について五の福利厚生費を否認したこと、五五年六月期について七の水道光熱費及び通信費を否認したことに伴い、いずれも同金額を当該期の吉村に対する役員報酬として認容したものである。
九 退職給与容認(五四年六月期)及び否認(五五年六月期)
これは、五四年六月期において、原告の従業員であつた小林登美子ほか四名の退職に伴い支給された退職給与一四六万六九〇〇円について、確定申告において退職給与引当金取り崩し漏れとして益金に算入しながら、これに見合う金額を損金の額に算入していなかつたので、これを認容したものである。そして、右金額を五五年六月期分から否認したものである。
十 役員賞与否認(五五年六月期)
原告が賞与金額に損金経理した金額のうち、一〇〇万円は当時原告の専務取締役であつた森幸平に対して支給されたものであり、同人は使用人兼務役員とは認められない役員であるから、法人税法三五条一項の規定により損金とは認められないものである。
十一 交際費限度超過認容(五五年六月期)
原告は、交際費一五万七五七〇円を限度超過額として損金の額から除外して確定申告書を提出していたが、右金額は租税特別措置法六二条に規定する交際費の算入限度額内であるから、これを認容したものである。
十二 事業税認定損(五二年六月期ないし五五年六月期)
各事業年度の前年度の更正処分に係る所得金額に対して課される事業税の額をそれぞれ当期の損金の額として認容したものである。
以上のとおり、及び後記5の「売上除外の認定について」で述べるとおり、被告が本件更正処分において認定した所得金額は、いずれも正当な根拠に基づいて算定されたものであるから、本件更正処分は適法である。
4 本件各重加算税の賦課決定処分の根拠及び適法性について
原告は、被告に対し、各事業年度の法定申告期限内に確定申告書を提出したが、右各申告書に記載された課税標準等及び税額等は、その計算の基礎となる売上額の一部を隠蔽し、又は仮装した過少な売上額に基づいて計算されていた。
すなわち、原告は、前期2で述べたとおり、売上伝票の一部を破棄するなどし、その破棄した売上伝票に係る売上額の一部を隠蔽し又は仮装して、その隠蔽し仮装したところに基づき右各申告書を提出していたものである。
したがつて、被告は、国税通則法六八条一項に基づき、重加算税の基礎となる税額に一〇〇分の三〇の割合を乗じて計算した金額に相当する各重加算税の賦課決定をしたものであるから、本件決定処分は適法である。
5 売上除外の認定について
3一記載のとおり、吉村手帳の「A. KONTO表」の各「2欄」の数字が原告の各店舗の売上除外額を示すものと認められたのであるが、その根拠は次のとおりである。
一 ラスパイユ店について
(1) 原告がその営業において使用していた売上伝票は、店頭売上票、入金伝票、領収書が一セツトとなり、複写式で同時に作成できるものであり、売上伝票が作成されたときは、入金伝票及び領収書が切り離され、店頭売上票のみが売上伝票綴に残るのが通常である。
ところで、原告の法人税の調査において、ラスパイユ店の売上に関し、公表されている売上伝票綴から切り離されて同綴に残つていなかつた昭和五二年四月ないし一二月分の店頭売上票(以下「切り離し売上伝票」という。)が発見されたが、これに該当する金額は原告の売上勘定元帳(乙第九号証、以下「公表売上勘定」という。)に記載されていなかつた。ところが、右切り離し売上伝票に係る取引先の内の八件からは、右切り離し売上伝票記載の日付にラスパイユ店から現金仕入れをした旨の回答があつた。このことから、原告には売上除外が存在し、右切り離し売上伝票は原告の売上除外に係る伝票であると認められたのである。
(2) 次に、原告のラスパイユ店の従業員であつた木下(旧姓川村)元子(以下「川村」という。)が作成した毎日の売上集計表と目されるノート(乙第八号証の二ないし二七、以下「川村ノート」という。)には、「S」及び「ビ」と表示された金額がそれぞれ記載されているが、別表4のラスパイユ売上対照表に示すとおり、右「ビ」欄記載の金額は原告の公表売上勘定にラスパイユ店店頭売上として記載されているのに対し、「S」欄に記載された金額は右公表売上勘定に記載されてはいない。そして、「S」欄記載の金額は、その日の前記切り離し売上伝票記載の金額と一致しているのである。したがつて、川村ノートの「S」欄記載の金額は、ラスパイユ店の売上除外額を記載したものであることが認められる。
(3) そして、別表5記載のとおり、昭和五二年版吉村手帳の記載中、「A. KONTO表」の左側の「D. J」欄の四月ないし六月及び九月ないし一二月の各下段に記された数字(別表1の「昭和五二年版」の「2欄」)は、川村ノート中の右該当月の「S」欄表示の月計額(万円未満切り捨て)と一致している。したがつて、吉村手帳の右各数字は、ラスパイユ店の売上除外額を月毎に万円単位で記載したものと認められる。
(4) なお、以上の事実は、原告のラスパイユ店に関する次の各種帳簿書類相互の関係からも裏付けられる。
ア 原告の従業員である竹井豊美(以下「竹井」という。)が作成したラスパイユ店の売上明細と目される帳簿(乙第七号証の二ないし七、以下「売上明細」という。)には、ラスパイユ店の各月ごとの商品の種類別(特価品、ブラウス、スカート等の別)の売上額及び昭和五二年六、七月については販売形態別(店頭売上、配達売上、代引売上の別)の売上額が記載されているが、これを昭和五二年六月分について、川村ノート及び公表売上勘定と対比すると、別表6のとおり、右売上明細の「店頭売上」の金額(九二六万六九〇五円)からその下に括弧書で記載されている金額(三四万九一五〇円)を差し引いた残額(八九一万七七五五円)は、前記川村ノートの同月の「S」欄と「ビ」欄記載の金額の合計額と一致しており、また、公表売上勘定のラスパイユ店に係るものは、同表及び別表7のとおり、これを「現金」、「配達」、「代引」と分類でき、「現金」は、更に「現金大口」と「現金小口」に分類できるのであるが、別表6に示すとおり同月の売上明細の前記「店頭売上」の下の括弧書の金額、「配達売上」の金額、「代引売上」の金額は、順に、右分類した公表売上勘定の「現金小口」、「配達」、「代引」の各金額とそれぞれ一致しており、さらに、右公表売上勘定の「現金大口」の金額は、川村ノートの同月の「ビ」欄の金額と一致している。このことから、鵜明細は、川村ノートの「ビ」欄及び「S」欄記載の金額に、公表売上勘定の「現金小口」、「配達」及び「代引」の各金額を加算したものであり、したがつて、ラスパイユ店の実際売上額(公表売上額と売上除外額を合計した額。以下、同じ。)を記載したものといえるのである。
イ また、竹井豊美は、原告の売上帳と目されるノート(乙第一〇号証、以下「竹井ノート」という。)を作成していたが、これには、本店とラスパイユ店の各売上額が各店別に販売形態別(昭和五二年九月分までは店頭売上と配達売上とを一括して「店頭配達」、書留売上と代引売上とを一括して「書留代引」と、納品書売上を「納品」と、出張売上を「出張」と各区分表示され、同年一〇月分以降はしれぞれの売上区分毎に表示されている。)、男女物別に各月毎の合計金額で記載されている。
そこで、ラスパイユ店の昭和五二年六月分について、この竹井ノートと公表売上勘定とを比較すると、別表6のとおり、竹井ノートの「店頭配達」は、公表売上勘定のラスパイユ店の前記「現金」と「配達」の合計額と一致し、竹井ノートの「書留代引」は、公表売上勘定の「代引」と一致する。したがつて、竹井ノートのラスパイユ店に係る売上額は、公表売上勘定のラスパイユ店に係る売上額と一致するのである。
ウ さらに、原告が本店及びラスパイユ店の公表売上を売上態様別に分類した表(乙第三六号証の一ないし一四四、以下「公表売上分類表」という。)には、各店舗の公表売上額の月計額が記載されているが、そのラスパイユ店に係る昭和五二年七月、八月分の金額は、七五六万八九六五円、四八四万七九四〇円となり、竹井ノートの右各月の金額と一致する。したがつて、このことからも、竹井ノートか本店及びラスパイユ店の公表売上額を態様別に記載したものといえるのである。
エ なお、吉村手帳には、ラスパイユ店と大阪の吉村商会の営業店舗であるラスパイユ店の年別、月別の総売上額を万単位で表示したと認められる数字の一覧表も記載されており、これらを一括して表示すると別表2のとおりである(右手帳の各年版には、その表題建物及び同表の「1欄」ないし「4欄」との表示の各部分に注記載のとおり外国文字の略号が記載されており、昭和五二年は左側の一欄、昭和五三年以降は左側の二欄が原告のラスパイユ店に係るものである。以下、右手帳記載の各一覧表のうち、昭和五二年版の別表2の「1欄」、昭和五三年版ないし昭和五五年版の同表「2欄」に対応する各部分を「K. V表」という。)。「K. V表」の数字を売上明細の数字(万円単位にしたもの。)と、対応する月(昭和五二年四月ないし昭和五三年三月。)について比較すると、ラスパイユ店が新規に開店した昭和五二年四月を除き一致している。また、「K. V表」の各月の数字を竹井ノートに記載されているラスパイユ店の売上額に川村ノートの「S」欄記載の金額を加えた額(万円単位にしたもの。)を比較すると(比較できる期間は昭和五二年五月ないし一二月である。)一致している。このことから、「K. V表」はラスパイユ店の各月の実際売上額を万円単位(万円未満は切り捨て)で記載したものということができる。
オ そうすると、ラスパイユ店については、吉村手帳の「K. V表」及び売上明細が実際売上を記載したものであり、吉村手帳の「A. KONTO表」昭和五二年版の左側の「D. J」欄下段(別表1昭和五二年版「2欄」下段)及び川村ノートの「S」欄が売上除外額を記載したものであるといえるのである。
二 本店について
(1) 本店に関しては、昭和五五年二月一三日の国税査察官による原告の査察調査の際に、吉村の自宅から本店の公表帳簿の売上に計上されていなかつた売上に係る売上伝票(以下「自宅発見伝票」という。)が発見されたが、右伝票のうち、昭和五四年一二月三日から同月二八日までの分及び昭和五五年一月八日、九日分は、いずれも実際に売り上げ、かつ、現実に入金になつた日から一か月ないし二か月以上も公表帳簿に計上されていなかつた。そして、原告は右査察調査後の同月二八日に右未計上分を一括して公表帳簿に記載したが、このような処理は合理的な理由がないものであり、このことはすなわち、原告の本店においても売上除外が行われていたことを示すものである。
(2) ところで、原告の本店の営業については、店頭売上、配達売上、代引売上及び書留売上、納品書売上、出張売上の各販売形態があり、昭和五二年六月分について公表売上勘定の記載を右販売形態別に分類整理すると、別表7に例示するとおりとなる。そして、本店の昭和五二年六月分の売上について、ラスパイユ店と同様に前記竹井ノートと公表売上勘定とを比較すると、別表6の該当欄記載のとおり、竹井ノートの「店頭配達」の合計金額が公表売上勘定の「店頭」と「配達」の金額を合計した金額と、「出張」の合計金額が公表売上勘定の「出張」の金額とそれぞれ一致し、「納品書」の金額も公表売上勘定の「納品書(売掛金)」の金額とほぼ一致する。ただ、「書留代引」の合計金額と公表売上勘定の「代引」と「書留」とを合計した金額とは一部開差が生じているが、それは、書留売上について、竹井ノートは商品出荷時に売上に計上されているのに対し、公表売上勘定においては入金時に売上に計上しているためである。したがつて、竹井ノートは本店についても公表売上額を記載したものということができる。
(3) さらに、前記公表売上分類表には、本店の公表売上額の月計額も記載されているが、その本店に係る昭和五二年一〇月分の金額は、別表8の1のとおり、竹井ノートの「書留売上」を除くその他売上額と一致する。したがつて、このことからも、竹井ノートが本店及びラスパイユ店の公表売上額を態様別に記載したものであるといえるのである。
(4) さらに、吉村手帳には、本店および吉村商会の年別、月別の総売上額を万円単位で表示したと認められる数字の一覧表も記載されており、これらを一括して表示すると別表3のとおりである(右手帳の各年版には、その表題部及び同表の「1欄」ないし「4欄」との表示の各部分に注記載のとおりの外国文字の略号及び数字が記載されており、各年の左側二つの欄が原告の本店に係るものである。以下、右手帳記載の各一覧表のうち各年の別表3の「2欄」に対応する部分を「G. V表」という。)。ところで、同表の各年の「2欄」の各月の数字と、本店の公表売上額を記載した竹井ノートの各月の売上額(万円単位にした数字)及び「A. KONTO表」の各年版の「2欄」(ただし、昭和五二年版は「2欄上段」)の各月の数字の合計額とを、昭和五〇年七月から昭和五五年一月までの対応する年月について比較すると、別表9記載のとおり、昭和五二年六月以降の各月は、昭和五二年八月及び一〇月、昭和五三年六月及び九月の四か月を除き一致しており(ただし、万円未満の端数の処理の違いにより一万円の開差が生じている月があるが、これも一致しているものに含める。)、右の一致しない四か月も、単純な転記ミスと認められる昭和五三年六月を除き公表売上分類表の数字と前記「A. KONTO表」との合計額に一致している。そして、昭和五二年五月以前は、前記「G. V表」の数字と、公表売上分類表の各月の数字及び前記「A. KONTO表」の数字の合計額とを比較すると、別表9記載のとおり、昭和五一年七月及び同年一〇月の二か月を除き一致しているのである。したがつて、吉村手帳の「G. V表」は、「K. V表」と同様の性格のもの、すなわち、原告の本店の実際売上額を万円単位(万円未満は切り捨て)で記載したものであり、「A. KONTO表」は、本店の売上除外額を記載したものといえるのである。
三 なお、「A. KONTO表」の右側部分(別表1の「3欄」、「4欄」)は吉村商会にかかるものであるが、そのうち「W」と表示されている欄は、吉村商会において名目上の代表取締役であつた伊東禮介が、吉村の指示により同社の売上除外を行つてその金額を報告し、吉村がこれを受けて記載したものである。このことからも、「A. KONTO表」が売上除外額を記載したものであることが明らかである。
四 なお、原告は「A. KONTO表」が、ラスパイユ店の商品信用貸し取引に係る金額及び東西通商株式会社の仲介成約高を記載したものであると主張するが、右主張は被告の調査段階では主張されておらず、審査請求段階で初めて主張されたものであり、しかも、吉村は、調査段階では、「G. V表」の「STFNVKF」欄については株券の残高を記載したものと、「A. KONTO表」の「ZW. KON. Zeich」についてはつぼの中の現金残高の意味である旨を説明していたのである。そして、同人は査察調査時に吉村手帳を示されて事情聴取を受けた際に、突如として手帳の一部(昭和五五年版「G. V表」、「K. V表」及び「A. KONTO表」を破いて口の中に入れるという不可解な行動にでているのである。このような事実は、原告に売上除外があつたことを間接的に裏付けるものである。
五 以上を総合すると、吉村手帳の「A. KONTO表」は原告の各店舗の売上除外金額を、それぞれ万円単位で記載したものであることが認められるのである。
四 被告の主張に対する認否
1 被告の主張1の事実のうち、原告及び吉村商会の実質的な経営者が吉村であることは否認し、その余は認める。
2 同2の事実のうち、吉村手帳が存在することは認めるが、その余は否認する。
3 同3の事実(対応する別紙第二の1ないし5の各表を含む。)のうち、
一 各事業年度の原告の確定申告額は認め、五ないし十二の各項目については争わない。
二 売上計上漏れについては、吉村手帳に別表1のとおりの数字が記載されていることは認めるが、その余はすべて否認ないし争う。
三 価格変動準備金積立額否認、価格変動準備金戻入額否認及び繰越欠損金当期控除額否認については、その前提となる青色申告の承認の取消処分が違法で取り消されるべきであるから、その前提を欠くものであり、すべて否認ないし争う。
四 本件更正処分が適法であるとの主張は争う。
4 同4の事実はすべて否認ないし争う。
なお、東京国税局査察部は、昭和五二年二月ころ、原告について法人税甫脱容疑で犯則調査をしたが、結局告発の手続きがされなかつた。これは、犯則の嫌疑のある場合の収税官吏の告発義務を定めた国税犯則取締法一二条の二に照らすと、原告に犯則の事実がなかつたことを意味するものというべきであり、かつ、このことは、原告に国税通則法六八条一項のいう隠蔽し、仮装する行為がなかつたことを意味するものというべきである。
5 同5の「売上除外の認定について」に対する認否及び反論は次のとおりである。
一 ラスパイユ店について
(1) 被告の主張一(1)について
売上伝票の様式が被告主張にとおりであること、切り離された伝票が存在するとは認めるが、その余は否認する。
原告の伝票処理においては、売上伝票中の店頭売上票も切り離されて、本店のお買い上げフアイル(オレンジカードといつている。)中にはさみこまれ、いずれ、得意先別に整理されるものである。被告が「切り離し売上伝票」と主張している伝票は、後述する商品信用貸し取引に関するものであり、売上除外に係るものではない。
(2) 同(2)について
被告主張の「川村ノート」が存在し、それに「S」及び「ビ」と表示されている金額が記載されていること、公表売上勘定に、川村ノートの「ビ」欄記載の金額に対応する金額表示の記載がないこと、「S」欄記載の金額が同日付けの切り離し売上伝票記載の金額の合計額と一致していることは認めるが、その余は否認する。
公表売上勘定には、「現金・ラスパイユ」として、川村ノートの「ビ」表示の金額以外の金額が全く同じ摘要表示で記載されているのであり、これは、川村ノートの「S」表示の金額、すなわち、次に述べるラスパイユ店における商品信用貸し(貸し売り、浮き貸しともいう。)取引に係る金額の一部なのである。
原告は現金問屋であつたことから、売上については、原告として現金が現実に入金されたときに認識計上することにしていた。したがつて、公表売上勘定は、原告に入金があつた時点で売上のすべてが遺漏なく記載されているのである。すなわち、ラスパイユ店においては、店頭売上の形態として現金売りと貸し売りとの二種があり、後者は商品信用貸しの取引(売れそうだから借りて行く、売れなかつたら返す、といつた取引)であつて、右取引があつたときは、「浮貸ノート」に顧客名、商品名を記載し、売上伝票のうち店頭売上表と入金伝票(顧客名を記載する。)を右浮貸ノートにはさみこみ、領収書は領収印を押さないまま顧客に渡し、後日顧客がラスパイユ店に現金を持参したときに初めて売上に計上し(店頭売上「ビ」に記載する。)、同時に顧客の持参した領収書に領収印を押し、本店に入金伝票を回して報告し、店頭売上票は綴に戻すのである。顧客が本店に現金を持参したときは、公表売上勘定に「現金ラスパイユ」として売上を立て、銀行等に代金が振り込まれたときは、やはり公表売上勘定に「○○銀行ラスパイユ」として売上を立てるのである。そして、商品が返品となつたときは、領収書、店頭売上票、入金伝票を廃棄するのである。
ところで、川村は、ラスパイユ店に勤務し、同店の現金及び商品の管理業務に従事していた者であり、ラスパイユ店に入金があれば、本店に報告し、また、ラスパイユ店の商品の代金が本店に入金になつた場合は、本店の竹井の照会に応じて、それがラスパイユ店の商品の売上に係るものであることを回答していた。川村ノートは、原告の指示に基づき、PATD(換金済み、売上済みを意味する。)とSALEONCREDIT(信用貸し取引、信用取引を意味する。)に分類して記載していたものであり、前者を「ビ」と表示して売上額を記載し、後者を「S」と表示して商品信用貸し取引に係る商品出庫額(以下、「信用貸し取引出庫額」という。)を記載していたものである。したがつて、「S」欄記載の金額が、商品信用貸し分の切り離し売上伝票の額と一致するのは当然である。そして、川村ノートは、売上額を正確に記帳することを目的としたものではなく、歴史の浅いラスパイユ店の今後の商品仕入れの指針を探求するために、本来の売上と貸し売りを含めた商品別の人気動向を把握する目的で作成されたものであり、商品別移動の大筋が分かれば良いというものである。したがつて、川村ノートに記載されている金額すべてが公表売上勘定に記載されるべき筋合いではないのである。ラスパイユ店においては、本店と同様に商品の在庫管理は在庫帳で行つており、また入金は現金会計主義をとることから公表売上勘定で押さえていたのであり、それ以外に売上の把握について川村ノートを必要とはしていなかつたのである。したがつて、川村ノートの「S」欄記載の金額が売上除外額を示すものでないことは明らかである。
(3) 同(3)について
被告主張のとおり、「A. KONTO表」の該当部分の数字が川村ノートの該当する月の「S」欄記載の数字の合計額(万円未満を切り捨てたもの)と一致することは認めるが、その余は否認する。
吉村手帳の「A. KONTO表」のA. KONTOとは:AUSSERKONTOの略で、外部売上を意味するものである。ZWKONTOもZUWEGEKONTOの略で、成約した勘定、つまり、外部との仲介成約高を意味するものである。
すなわち、当時吉村がオーナーであつた東西通商株式会社(以下「東西通商」という。)は、諸外国の繊維メーカーの代理店として、原告及び吉村商会のための輸入業を営むとともに、右以外の日本の会社と外国メーカーとの間の貿易仲介業を営んでいたが、吉村は、東西通商の右貿易仲介による輸入成約高を、担当者から報告を受けて「A. KONTO表」に記入していたのである。昭和五四年版吉村手帳の「A. KONTO表」の「D. J」欄(別表1の同年の「2欄」)の一ないし三月分の数字は東西通商の同年の貿易成約高と一致する(甲第一〇号証)が、これは右事実を裏付けるものである。
なお、甲第一〇号証の「S54(1979)外売1月~3月実績表」には三井物産株式会社の同年三月二〇日分の記載がないが、これは、東西通商の関西地区の仲介成約高に帰属すべきものであり、吉村手帳の「A. KONTO表」の「4欄」に記載されている数字に含まれている。また、その取引はパリで現地買いされたものであるから、同月末の時点では把握されていなかつたものである。
昭和五二年版吉村手帳の「A. KONTO表」の「D・J」欄の四月ないし六月及び九月ないし一二月の各下段に記載された数字は、既に述べたラスパイユ店の信用貸し取引出庫額、すなわち同店の売上未実現の商品の月別出庫高(川村ノートの「S」分)か、本来は「K. V表」に記載されるべきところ、誤つてか、たまたま適当な記載箇所を思い付かなかつたためか、同箇所の余白に付記されてしまつただけのことであつて、売上除外額ではない。
(4) 同(4)アについて
竹井が原告の従業員であること、「売上明細」を作成したこと、売上明細には被告主張のとおりの記載があること(ただし、これは売上額を意味するものではない。)、ラスパイユ店の売上形態として、店頭売上、配達売上、代引売上の各形態があつたことは認めるが、その余は否認する。
竹井は、原告本店に勤務し、会計及び集計業務を行つていた者であり、売上明細は、ラスパイユ店の現実売上及び業者への商品信用貸し等商品の種類別店頭外移動高を記載したものである。そして、これは、売上額を記載することを目的としたものではなく、月別の商品移動状況、つまり、どの商品が人気があるかを種類別に把握することを目的として記載されたものである。したがつて、この中には前記信用貸しの取引に係る商品の額も含まれているのである。すなわち、売上明細の昭和五二年六月、七月分の配達売上、代引売上は右商品信用貸し取引にかかる商品の後日の回収額である。また、被告主張の公表売上勘定を分類したとする「現金小口」(公表売上勘定には被告の主張にあるような「現金大口」、「現金小口」等の摘要項目ないし区別はない。)の金額も、ラスパイユ店の商品信用貸し取引の代金を後日本店で回収した際の記載である。
このように、売上明細も川村ノートもいずれも人気商品判定データなのであり、だからこそ売上明細が川村ノートの「S」欄及び「ビ」欄記載の金額の合計額とほぼ一致する(ただし、右目的から必ずしも正確さを要求されているものではないから、一定の期間の両者の記載金額に開差が生じている。)のは当然なのである(前者は後者から転記されたものである。)。
(5) 同(4)イ、ウについて
竹井が、本店とラスパイユ店の各売上額を、各店別、販売形態別、男女物別に、各月毎の合計金額で記載した「竹井ノート」を作成していたことは認めるが、その余は否認する。
(6) 同(4)エ、オについて
被告の主張する吉村手帳の該当部分に、その主張の数字及び外国文字の略号が記載されていること、吉村手帳の「K. V表」の記載が売上明細の記載と万円単位で一致していることは認めるが、その余は否認する。
吉村手帳の「K. V表」は、売上明細の数字が報告されて記載されたにすぎないから、これらが一致するのは当然である。また、右数字には、川村ノートの「S」すなわち信用貸し取引出庫額も含まれているのであり、したがつて、数字が一致するからといつて、それが被告の主張を裏付けるものであるとは到底いえないものである。
二 本店について
(1) 被告の主張二(1)について
吉村の自宅から査察調査時にその主張の売上伝票が発見されたことは認めるが、その余は否認する。
自宅発見伝票の合計金額と、被告が売上除外額を記載したと主張する同時期の吉村手帳の「A. KONTO表」記載金額とはかけはなれている。このことからも、吉村手帳と自宅発見伝票とが無関係であり、「A. KONTO表」が売上除外額を記載したものでないことは明らかである。
(2) 同(2)、(3)について
原告の本店の販売形態に被告主張の区別があることは認めるが、その余は否認する。
竹井ノートは、売上明細や川村ノートと同様に、本店の売上を仕入れのための指針となるように月別季節別に分析した記録である。被告の主張によれば、竹井ノートと公表売上勘定との金額は一致しなければおかしいが、現実には右両者間で開差が生じている。しかも、竹井ノートは部内記録であるから、売上除外があればこれも記載され、公表売上勘定より以上の数値を示すはずであるが、逆である。これは被告の推論が誤りであることを示すものである。
原告の本店においては、商品管理は在庫帳を基にしており、これには商品の移動が正確に記載されている。このことは、昭和五五年の在庫(甲第五号証の一ないし五)の六月三〇日在庫調の記載が、「55・6・30現在夏婦人在庫高」(甲第四号証)の該当商品の記載と一致し、右「55・6・30現在夏婦人在庫高」の総合計金額は、原告の五五年六月期の確定申告書類の棚卸商品明細書(甲第三号証の三)の中の「55年(夏)婦人物」の金額と一致すること、また、東京における残品は大阪に送られ、次期商品として販売されるが、その東京から大阪に送られる商品に係る「大阪東京商品送受確認表」(甲第六号証)の306511の商品についてみると、東京の在庫帳(甲第五号証の五)の記載と大阪の在庫帳(甲第七号証)の記載とは完全に一致すること、さらに、同一商品についての東京の在庫帳の記載と売上伝票(甲第八号証)の各記載とが一致していること、等の事実からも裏付けられるものである。このように原告の在庫帳は、その記載の態様、保存状態、記帳の継続性等からみて、正確性と真実性が担保されているものといえるのであり、このことは売上除外が一切ないことを示すものである。被告は、在庫帳の記載に誤差があると主張するが、実際の在庫量と帳簿上の記載とは、メーカーの商品の余裕幅、裁断の際の余裕幅等により、多少の誤差が生じることは当然であるから、実地棚卸による残高数量と誤差(これは別表一四のとおり、わずかに一・三七パーセントに過ぎない。)があるからといつて、在庫帳の記載が不正確であるとはいえないものである。
また、仮に、売上除外があつたとすると、在庫帳の二重帳簿が存在するか、又は、在庫帳に記載された出庫と入金帳との間に食い違いを生じるかするはずであるが、これがいずれも立証されていないことは、売上除外が存在しないことを物語るものである。
(5) 同(4)について
被告の主張する吉村手帳の該当部分に、その主張の数字、外国文字等が記載されていること、「G. V表」=「A. KONTO表」+「公表売上」の等式が成立すること及び数字が合致することは認めるが、その余は否認する。
等式の成立や数字の合致は、「A. KONTO表」が東西通商の仲介成約高(外売り額)であるという見地からは当然のことである。
三 被告の主張三は否認する。
吉村は、「A. KONTO表」の当該数字を、伊東禮介から東西通商の関西における仲介成約高として報告を受け、記載したものであり、売上除外額ではない。
仮に、吉村商会において売上除外があつたとしても、それは伊東禮介が売上金を不法に領得するために行つたものと推測され、吉村の知るところではない。
四 同四は否認する。
原告は調査段階から商品信用貸し取引について主張していたが、被告が取り合わなかつたのである。また、仲介成約高については、東西通商がこれを申告していなかつたことから、主張を躊躇したためである。また、被告が不可解とする吉村の行動も、右東西通商が不申告事実や、私事に関する記載が多かつたためであり、売上除外隠しのためではない。
第三証拠関係
証拠関係は、本件記録中の書証目録及び承認等目録記載のとおりであるから、これをここに引用する。
理由
一 請求原因1の一ないし三及び2の一、二の各事実は、当事者間に争いがない。
二 被告の主張について
1 被告の主張1については、原告及び吉村商会の実質的経営者が吉村であるとの点を除き当事者間に争いがなく、証人森幸平、同森貢、同吉村徹穂の各証言によれば、原告及び吉村商会の実質的経営者は吉村であることを認めることができる。
同2のうち、吉村手帳が存在する事実については、当事者間に争いがない。
同3のうち、各事業年度の原告の確定申告書金額及び五ないし十二の項目については、当事者間に争いがなく、一の項目について、吉村手帳の「A. KONTO表」に別表1のとおりの数字及び外国文字が記載されている事実も、当事者間に争いがない。
2 本件の争点は、要するに、原告に売上除外行為があつたか否かであり、より具体的には、被告の右売上除外額の主張が吉村手帳の「A. KONTO表」の記載を根拠とするものであるから、この吉村手帳の「A. KONTO表」金額原告の売上除外額を記載したものであるか否かが実質的な争点である。そこで、この点につき、被告の主張の5に沿って順次検討する。
一 ラスパイユ店について
(1) 原告の売上伝票の様式が被告主張のとおりであること、原告のラスパイユ店において被告主張の切り離し売上伝票が存在すること、ラスパイユ店の従業員であつた川村元子が同店の営業に関して作成した「川村ノート」が存在し、これに「S」及び「ビ」と表示されている金額が記載されていること、原告の公表売上勘定には、川村ノートの「ビ」欄記載の金額に対応する金額が記載されているが、「S」欄記載の金額に対応する金額は表示されていないこと、「S」欄記載の金額が同じ日付けの切り離し売上伝票記載の金額の合計額と一致すること、また、「S」欄記載の金額の各月の合計額の万円未満を切り捨てた数字は、吉村手帳の「A. KONTO表」昭和五二年版の左側の「D. J」欄下段記載の該当月の数字と一致すること、以上の事実は、当事者間に争いがない。
(2) 被告は、右争いがない事実を基に、ラスパイユ店の切り離し売上伝票に係る売上が公表売上勘定に計上されていないことから、これを同店の売上除外分であると判断し、また、右のとおり、川村ノートの「S」欄記載の金額が、同じ日付の切り離し売上伝票の合計金額と一致していることから、同ノートの「S」欄記載の金額は売上除外分を示すものであると推論する。そして、更に進んで、右川村ノートの「S」欄記載の金額の各月の合計額の万円未満を切り捨てた数字が、吉村手帳の「A. KONTO表」前記部分の該当月の数字と一致することから、「A. KONTO表」前記部分に記載された数字が、原告のラスパイユ店の売上除外額を示すものであると結論する。
これに対して、原告は、切り離し売上伝票は商品信用貸し取引に係るものであり、また、川村ノートの「S」欄記載の金額も、信用貸し取引出庫額であつて、その時点では未だ売れるかどうかが確実ではないものであるから、公表売上勘定に計上されないのは当然であり、現実に代金が入金された段階で公表売上勘定に計上されるのであると反論し、したがつて、吉村手帳の「A. KONTO表」昭和五二年版の左側の「D. J」欄下段記載の数字は右の信用貸し取引出庫額を記載したものであると主張する。
そうすると、右の切り離し売上伝票に係る売上が現実に存在し、かつ、その日に現実に入金されていたのであれば、これは原告のいう商品信用貸し取引とは考えられないから、右伝票にかかる取引は、同日又はこれに密着した日の売上として公表売上勘定に計上記載されるべきものであり、記載のないことにつき正当な理由がないことが判明すれば、それは売上除外と推認し得るものというべきである。
(3) そこで検討するに、原本の存在とその成立につき争いのない乙第一二号証の一ないし三一、第一三号証の一ないし三、第三三号証の一ないし、一一、第三四、第三五号証、いずれも官公署作成部分の成立に争いがなく、証人野口幸敏の証言によりその余の部分の成立が認められる乙第一四、第一五号証、証人野口幸敏の証言によれば、ラスパイユ店の切り離し売上伝票には、一、二の例外を除き、そのほとんど全部にラスパイユ店の領収印が押捺されていること、また、その中に、テーラー林宛の昭和五二年九月八日付け(乙第一二号証の二四)及び同月二九日付け(乙第二四号証の一五)、ふなばしや洋品店宛の同年一〇月二七日付け(乙第一二号証の三〇)の各一枚の売上伝票が存在し、テーラー林宛同年九月二九日付けの切り離し売上伝票には、その左下に「3枚合計¥68,510」との記載があること、他方、公表売上伝票綴りには、テーラー林宛の同年九月二九日付けの二枚の売上伝票(乙第一三号証の一、二)及びふなばしや洋品店宛の同年一〇月二七日付けの一枚の売上伝票(乙第一三号証の三)が存在し、ふなばしや洋品店の売上伝票にはその左下に「2枚合計¥11,850」との記載があること、そして、テーラー林宛の同年九月二九日付けの切り離し、公表を合わせた右三枚の売上伝票の金額を合計すると六万八五一〇円となり、同様にふなばしや洋品店の同年一〇月二七日付けの二枚の売上伝票を合計すると一万一八五〇円となり、それぞれ前記伝票の左下に記載された金額と一致すること、また、右各伝票に係る取引について、大蔵事務官の菅沼昭弘がテーラー林とふなばしや洋品店に確認調査を行つたところ、いずれも各取引先において、右各日付の日に当該金額に係る取引が現金出納簿又は仕入帳に計上され、かつ、いずれも現金決済として処理されていたこと、その上、右各売上伝票に対応する各取引先が保有していた領収書のすべてにラスパイユ店の領収印が押捺されていること、右以外の切り離し売上伝票のうち、テーラー林、ふなばしやを除く他の六件の取引先についての大蔵事務官の調査においても、同様にそれぞれの伝票の作成日に現金仕入れとして経理処理されていることが判明したこと、以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
右認定事実によれば、テーラー林宛の昭和五二年九月二九日付けの三枚の売上伝票及びふなばしや洋品店宛二枚の売上伝票は、いずれも同一の機会に一緒に記載されものであり、しかも、伝票の日付けの日に現金で決済されたことを認めることができ、かつ、このような処理は、他の六件の取引先についても同様であるから、この点において、切り離し売上伝票に係る取引が商品信用貸し取引であつて未だ売上が未確定のものであるとの原告の主張が採用できないことは明らかであり、原告の右主張に沿う証人森幸平の供述部分は到底信用することができないものといわざるを得ない。そして、前記認定事実によれば、その余の切り離し売上伝票に係る取引も、現金売上によるものであることを推認することができ、かつ、これらが公表売上勘定に記載されていないことについて、前記商品信用貸し取引であるという説明しかされていないのであり、証人野口幸敏の証言及び弁論の全趣旨によれば、他にこれを正当化し得る理由が存在しないことが認められるから、ラスパイユ店について、右の切り離し売上伝票の金額に相当する売上除外があつたと推認することができるものというべきである。
そうすると、前記のとおり、川村ノートの「S」欄記載の金額と切り離し売上伝票の該当日の合計金額とは一致し、かつ、これが公表売上勘定に記載されていないことについて、当事者間に争いがないのであるから、川村ノートの「S」欄記載の金額に係る取引は、ラスパイユ店の現金売上であり、かつ、これが公表売上勘定に計上されていない売上除外額であると推認することができるものといわなければならない。
(4) ところで、原告は、右推認を妨げる事実として、公表売上勘定の「現金ラスパイユ」との摘要表示の下に、川村ノートの「ビ」欄記載の金額以外の金額が記載されていることを指摘し、これが商品信用貸し取引に係るもの、すなわち川村ノートの「S」欄記載の金額に係る商品信用貸し取引の売上が、後日入金になつたものの一部であると主張する。すなわち、原告においては、ラスパイユ店の「S」欄記載の商品信用貸し取引に係る商品が後日現実に売れた場合、その代金がラスパイユ店に持参されたときは、同日店頭売上として川村ノートの「ビ」欄に記載し、本店に報告して本店で公表売上勘定に「現金ラスパイユ」の店頭売上を立て、代金が本店に持参されたときは、同様に公表売上勘定に「現金ラスパイユ」として店頭売上を立て、代金が銀行等に振り込まれたときは公表売上勘定に「○○銀行ラスパイユ」(以下単に「銀行ラスパイユ」という。)として売上を立てるのである、原告は現金会計主義を採つているから、商品の売上を現実に入金があつたあときに公表売上勘定に記載しているのであり、商品信用貸し取引の売上、すなわち川村ノートの「S」欄記載の金額に係る売上は、売上が現実化して入金になるまでは公表売上勘定に記載されないのである、と主張する。
確かに、証人森幸平は、ラスパイユ店において、原告の主張する商品信用貸し取引が存在したことを供述し、また、原本の存在とその成立に争いがない乙第九号証によれば、同号証の公表売上勘定には、川村ノートの「ビ」欄記載の金額に一致する金額(若干の誤差があるものもあるが、一致する金額が記載されていること自体については当事者間に争いがないので、以下「原告ビ売上」という。)以外に、別表一〇<1>欄記載の金額が「現金ラスパイユ」との摘要表示の下に記載されている(以下これを「現金その他売上」という。)ことが認められる。
しかしながら、後に詳述するが、前掲乙第九号証、原本の存在とその成立につき争いのない乙第七号証の二ないし六、乙第八号証の二ないし二七によれば、竹井作成の売上明細には、別表一一の昭和五二年六月分の例でみるとおり、川村ノートの「S」及び「ビ」欄各記載の金額の合計額(八九一万七七五五円)と公表売上勘定の「現金その他売上」の金額(三四万九一五〇円)とを合算した金額(九二六万六九〇五円)が、「店頭売上」(ラスパイユ店の販売形態として、店頭売上、配達売上、代引売上の三種類があつたことは、当事者間に争いがない。)として記載されていることが認められるのであり、かつ、売上明細には、この「店頭売上」と「配達売上」(一〇万三四二〇円)、「代引売上」(三〇万四〇五五円)の金額(これらは、公表売上勘定の「銀行ラスパイユ」と「未収入金代引ラスパイユ」とにそれぞれ金額が一致する。)を合計した金額(一九六七万四三八〇円)に係る商品の種類別明細が記載されているのである(売上明細の存在及びその記載については、当事者間に争いがない。)。このように、川村ノートの「S」欄記載の金額、「ビ」欄記載の金額、公表売上勘定の現金その他売上の金額のいずれもが「店頭売上」に含まれること、及び、これらと配達売上、代引売上を含めた全体について売上明細に商品の種類別の明細が記載されていることからすると、川村ノートの「S」欄記載の金額、「ビ」欄記載の金額、公表売上勘定の現金その他売上の金額は、いずれも同じ性格のもの、すなわち商品の出庫高ではなく、既に現実化した売上額に係るものであるといわなければならない。
この点に関して、原告は、「店頭売上」の中には商品信用貸し取引に係る売上も含むのであり、売上明細は人気商品の動向を把握するために商品の移動状況を記載したものに過ぎず、売上金額の正確な把握のための帳簿ではなく、売上額を記載したものではない、また、川村ノートも同様であり、商品の出庫状況を記載したに過ぎないものであつて、売上額を記載したものではないと主張する。
しかしながら、前掲乙第八号証の二ないし二七によれば、川村ノートには「S」欄記載の金額に係る商品の種類別明細が記載されていることが認められ、また、売上明細には、右認定のとおり、川村ノートの「S」及び「ビ」欄記載の金額の合計額と公表売上勘定の現金その他売上の金額とを合算した「店頭売上」金額、及び「配達売上」、「代引売上」の各金額の合計額に係る商品の種類別明細が記載されているのであるから、仮に、原告の主張のとおりに商品信用貸し取引が行われたとすれば、まずその信用貸しの商品の出庫時に川村ノート及び売上明細にその種類別明細が記載され、さらに、これが実際に売れてその売上が計上された時点で、再び売上明細にその種類別明細が記載されることになり、川村ノートの「S」欄に記載された商品のみが二重に計上されることになる。また、売上明細だけをとつてみても、原告の主張に従うと、その種類別明細の中に、その日の「S」(原告のいわゆる商品信用貸し取引)による出庫分と、過去のある時点の「S」(右同)による出庫分の清算分(したがつて、商品の出庫はない。)とが合算されて記載されることになるから、これでは商品の移動状況の把握をすることができず、かえつて混乱することになりかねないのである。したがつて、原告主張の方法では人気商品の動向調査に必要なデータは到底得られるものではないといわざるを得ない。そして、逆に、このように川村ノートと売上明細とで商品の種類別明細を記載しているということは、これらの帳簿が、いずれも現実の売上額を記載したものであり、信用貸し取引出庫額を含むものではないことを端的に示しているものというべきである。
以上によれば、川村ノートの「S」欄記載の金額が信用貸し取引出庫額であり、現金その他売上が右商品信用貸し取引に係る代金の後日入金分である旨の原告の主張、並びに売上明細及び川村ノートが商品の人気判定のために記載されたものである旨の原告の主張は、いずれも採用することができず、したがつて、前記の推認を覆すことはできないものというべきである(右原告の主張に沿う証人竹井豊美、同森幸平の各供述部分は、右判断に照らして、到底信用することができない。)。
(5) ところで、吉村手帳の記載を検討する前に、本件で原告の営業に関して存在する各種の帳簿書類等の性格並びに相互の関係について検討しておくこととする。
売上明細にラスパイユ店の各月毎の商品の品種別金額及び昭和五二年六、七月については更に販売形態別の金額が記載されていることは、当事者間に争いがなく、前掲乙第七号証の二ないし六によれば、売上明細には、昭和五二年四月から昭和五三年三月まで、各月の末日付けで、売上又は品種別売上と明記されて(ただし、昭和五二年四月分のみ右の表示はない。)、各月の売上に係る商品の種類別明細が記載されていること、昭和五二年六月及び七月の販売形態別売上の記載が別表一一の該当欄(修正分を除く。以下同じ。)記載のとおりであることが認められる。また、竹井が売上明細とは別に本店とラスパイユ店の各売上額を、各店別、販売形態別、男女物別の各月毎の合計金額で記載した竹井ノートを作成していたことは、当事者間に争いがなく、原本の存在とその成立につき争いがない乙第一〇号証によれば、竹井ノートには、昭和五二年五月三一日付け以降にラスパイユ店の販売形態別売上の記載が見られ、同年六月及び七月のラスパイユ店に関する記載は別表一一の該当欄記載のとおりであることが認められる。さらに、成立に争いがない乙第三六号証の二ないし一四四によれば、公表売上分類表には、本店及びラスパイユ店(ただし、昭和五二年四月以降)の営業日毎の販売形態別売上額とこれを各月毎にまとめた販売形態別総売上の明細が記載されており、その昭和五二年六月及び七月分の記載は別表三の該当欄(修正欄を除く。以下同じ。)記載のとおりであり、右各月の合計額は別表一一の該当欄記載のとおりであることが認められる。そして、前掲乙第八号証の二ないし二七によれば、川村ノートには、別表4記載のとおり、昭和五二年四月一八日から昭和五三年五月三一日にかけて、ラスパイユ店の営業日毎に、「S」及び「ビ」に区別された金額(ただし、昭和五二年七、八月の全営業日、同年九月一日ないし五日、同年一二月六日から昭和五三年五月三一日までの間の営業日分については、「S」表示の金額がないか又は○である。)と、「S」欄記載の金額に対応する取引商品の明細(ただし、昭和五二年四月一八日ないし二一日、七、八月の全営業日、同年九月一日ないし五日、同年一二月六日から昭和五三年五月三一日までの間の営業日分については、明細の記載はない。)とが記載されていること、昭和五二年六月及び七月分の記載は別表三の該当欄記載のとおりであり、右各月の合計額は別表一一の該当欄記載のとおりであることが認められる。また、前掲乙第九号証によれば、公表売上勘定の昭和五二年六月及び七月のラスパイユ店に係る記載を抜き出すと、別表一二の該当欄記載のとおりであり、右各月の合計額は別表一一の該当欄記載のとおりであることが認められる。
ところで、昭和五二年七月分については、公表売上勘定(乙第九号証)、公表売上分類表(乙第三六号証の五四)、川村ノート(乙第八号証)の各記載を比較すると、別表一一のとおり若干の食い違いが見られるが、これを右各書証の記載を基に詳細に検討、対比すると、別表一二の注書のとおり修正すべきものと認められる。したがつて、右注書のとおり別表一一、一二を修正すると各表の修正後欄の記載のとおりとなる。
そこで、右別表一一、一二(いずれも修正後のもの、以下同じ。)により、公表売上勘定、公表売上分類表、川村ノート、竹井ノート、売上明細等の帳簿書類のラスパイユ店に係る記載を対比して考察すると、公表売上勘定における現金その他売上に係る金額は、いずれも現金ビ売上金額と合算されて公表売上分類表上の「店頭」売上として計上され(ただし、六月八日分のみは五〇〇〇円の食い違いがあり、総計もその額だけ差が出ているが、これはいずれかの記載誤りと認められる。)ており、また、売上明細上は、「店頭売上」の金額の下に括弧書で記載された金額と一致しているのであり、さらに、売上明細の「店頭売上」金額から括弧書の金額を控除した金額は、同年六月分は川村ノートの「S」欄及び「ビ」欄記載の金額の合計額と一致し、同年七月分は、川村ノートに「S」欄記載の金額がないことから、「ビ」欄記載の金額と一致し、かつ、公表売上勘定の現金ビ売上の金額と一致している。そして、売上明細の「配達売上」の金額は、公表売上分類表の「配達」売上、公表売上勘定の「銀行ラスパイユ」との摘要表示の金額と一致し、売上明細の「代引売上」の金額は、竹井ノートの「書留代引」売上、公表売上分類表の「代引」売上、公表売上勘定の「未収入金代引ラスパイユ」との摘要表示の金額と一致している。さらに、竹井ノートの「店頭配達」は、公表売上勘定の「現金ラスパイユ」と「銀行ラスパイユ」とを合計した金額、及び公表売上分類表の「店頭」と「配達」とを合計した金額と一致し、川村ノートの「S」欄記載の金額がない同年七月分は、売上明細の「店頭売上」と「配達売上」とを合計した金額とも一致している。
以上の事実及び証人野口幸敏、同竹井豊美の各証言を総合すると、公表売上勘定の「現金ラスパイユ」、「銀行ラスパイユ」、「未収入金代引ラスパイユ」は、それぞれ、店頭売上、配達売上、代引売上と対応するものであること、昭和五二年六月及び七月分については、売上明細は、川村ノートの「S」及び「ビ」欄記載の金額に、公表売上勘定の現金その他売上、「銀行ラスパイユ」(すなわち配達売上)、「未収入金代引ラスパイユ」(すなわち代引売上)の各金額を加算した金額を記載したものであり、したがつて、ラスパイユ店の実際売上額全体を記載したものと認めることができ、また、竹井ノートは実際売上額から川村ノートの「S」欄記載の売上除外額を除いた分、すなわち公表売上額を記載したものであり、川村ノートは川村の管理に係る公表売上額と売上除外額を記載したものと認めることができる(したがつて、公表売上勘定の現金その他売上の金額は、川村が把握していなかつた売上のうち本店に入金された金額と認められる。)。
そして、前掲乙第七号証の二ないし六、第八号証の二ないし二七、第九、第一〇号証によれば、右認定の各帳簿書類等の性格及び相互関係は、昭和五二年六、七月以外の同年五月から昭和五三年三月までの間の他の月についてもほぼ妥当するものであることが認められる(別表一三参照)から、結局、売上明細はラスパイユ店の実際売上額を、竹井ノートのラスパイユ店関係部分の記載は同店の公表売上額を、川村ノートはラスパイユ店の公表売上額と売上除外額を川村の把握した範囲で分類して記載したものと認めることができるものといわなければならない。
(6) そこで、右認定事実を基に吉村手帳の記載について検討するに、吉村手帳の「K. V表」の記載が別表2のとおりであり、これが売上明細の記載期間(昭和五二年四月から昭和五三年三月まで)の各月の合計金額の万円未満を切り捨てた数字と一致していることは、当事者間に争いがない。そうすると、右「K. V表」はラスパイユ店の実際売上額を記載したものであると推認することができる。そして、吉村手帳の「A. KONTO表」の記載が別表1のとおりであり、同表の「2欄」の数字のうち、昭和五二年版の各下段に記載された数字が川村ノートの各月の「S」欄の金額の万円未満を切り捨てた数字と一致していることは、当事者間に争いがないから、吉村手帳の右の数字は、ラスパイユ店の売上除外額を記載したものと認めることができ、右認定を左右するに足る証拠はない。
二 原告の吉村手帳の「A. KONTO表」についての反論について
(1) 原告は、吉村手帳の「A. KONTO表」の「2欄」記載の数字は東西通商の貿易仲介による輸入成約高を記入したものであると主張し、これを裏付ける資料として甲第一号証の一ないし一九及び第一〇号証を提出し、また、右主張に沿う成立に争いがない乙第二六号証の一ないし一〇(東西通商の元従業員であつた和田武雄の質問調書及びその添付資料)の記載及び証人吉村徹穂の供述が存在する。
確かに、乙第二六号証の一及び証人吉村徹穂の証言により成立が認められる甲第一〇号証には、東西通商の昭和五四年一月ないし三月までの「外売り実績」が万円単位で記載され、その合計額は一四〇一万円となり、これは吉村手帳の「A. KONTO表」の「2欄」の昭和五四年一月ないし三月までの数字の合計と一致している。そして、成立に争いがない、書き込み部分を除いた甲第一号証の一ないし一九によれば、甲第一〇号証に記載されている各月の各販売先毎の内訳にほぼ合致するフランスのトルニエ社の送り状が存在することが認められる。しかしながら、甲第一〇号証の各月別の合計金額は、前記吉村手帳の「A. KONTO表」の「2欄」の対応する月の数字とは大きく異なつており、この食い違いについて右和田武雄が乙第二六号証の一ないし五で説明するところは、具体的な資料の裏付けがないものであつて、にわかに信用することができないものであるうえ、前掲乙第二六号証の六は、同号証の一によればフランスのトルニエ社から東西通商あて送付された昭和五三年九月から昭和五四年八月までの間のコミツション計算書の写しであることが認められるが、これと前記甲第一〇号証の記載とを対比すると、甲第一〇号証には藤野商事株式会社の昭和五四年二月一日分、伊藤忠商事株式会社の同月二日分、鐘紡株式会社の同月二八日分、三井物産株式会社の同年三月二〇日分の各記載がないことが認められ、したがつて、金額にも昭和五四年の一月から三月までの合計額で二二二万円もの差が生じていること(ただし、乙第二六号証の六には甲第一号証の一六によつて認められる大宮株式会社分の記載がないので、これを補充して計算した。)が認められる。これらの事実によれば、甲第一〇号証の記載は必ずしも東西通商の真実の仲介成約高を示しているものと認めることができず、その三箇月間の合計数字が吉村手帳の「A. KONTO表」の「2欄」の昭和五四年一月ないし三月の数字の合計額と一致するからといつて、「A. KONTO表」の同欄の記載が東西通商の仲介成約高を示すものであると認めることは到底できないものというべきである。右認定に反する証人吉村徹穂の供述部分は信用することができない。
原告は、この点につき、三井物産の昭和五四年三月二〇日分の金額は、東西通商の関西地区の仲介成約高に帰属すべきものであり、これは吉村手帳の「A. KONTO表」の「4欄」に記載されている数字に含まれている、また、その取引はパリで現地買いされたものであるから、同月末の時点では把握されていなかつたため、甲第一〇号証に記載されていないのであるとも主張するが、後記三(3)で認定するとおり、「A. KONTO表」の「4欄」記載の数字は、吉村商会の売上除外額を、当時の同社の代表取締役であつた伊東禮介から吉村が報告を受けて記載したものと認められるから、右主張の前段部分は到底採用することができず、また、後段部分についても、前掲乙第二六号証の一、六及び甲第一〇号証によれば、同様にパリで現地買いされたと考えられる三井物産の同年二月二三日分については送り状も存在し(甲第一号証の一四)、甲第一〇号証にも記載されていること、及び甲第一〇号証は送り状の記載日時に合わせて事後に整理され記載されているものであることがそれぞれ認められるから、原告の右主張は、到底採用することができないものというべきである。
(2) さらに、前掲乙第一ないし第五号証の各三及び証人吉村徹穂の証言によれば、別表1記載のとおり、吉村手帳の「A. KONTO表」の各年版の「2欄」の数字はその年の各月の数字を示すものであり、「1欄」記載の数字はその前年の数字を意味するものであること、したがつて、「1欄」記載の数字は、昭和五三年版の四月ないし六月及び九月ないし一二月分を除き、前年の「2欄」の数字と一致していること、昭和五三年版の右部分については、これに対応する昭和五二年版の「2欄」の各月は、いずれも数字が上下二段に記載されており、これをそれぞれ合計した数字が右部分記載の数字と一致することが認められる。
ところで、原告は、右昭和五二年版の「2欄」の上下二段に記載されている数字のうち、下段は信用貸し取引出庫額であり、上段は東西通商の仲介成約高を記載したあものであると主張し、右主張に沿う証人吉村徹穂の供述部分が存在する。しかしながら、その年の各月の合計額を記載したと考えられる同欄の最下段の「G」欄は、右両者を区別することなく合計した金額であることが明らかであり、かつ、右認定のとおり、昭和五三年版の「1欄」にはやはり両者を区別することなく合計した数字が記載されているのであつて、仮に、これらの数字が原告の主張するとおりのものであるとすると、事業主体、性格、次元の全く異なる数字を合計していたことになるのであつて、そのような記帳が不合理なものであることは明らかであり(したがつて、証人吉村徹穂の供述は信用できない。)、このことは原告の主張が失当であることを示すものというべきである。
(三) 本店について
(1) 原告の本店の販売形態として、店頭売上、配達売上、納品書売上、出張売上、書留・代引売上の別があることについては、当事者間に争いがない。そして、前掲乙第九号証、証人野口幸敏、同竹井豊美の各証言及び弁論の全趣旨を総合すると、公表売上勘定の昭和五二年六月の本店に関する記載について、摘要表示が「現金店頭」とあるのは店頭売上に、「現金野島」、「現金片桐」、「三和銀行武蔵」、「富士銀行丸神」及び「借受金丸神」とあるのはいずれも配達売上に、「諸口出張清算」とあるのは出張売上に、「売掛金○○」とあるのは納品書売上に、「振替貯金振入」又は「未収入金振入」、「現金書留」とあるのは書留売上に、「未収入金代引」とあるのは代引売上に、それぞれ該当すること(裏地はそれぞれの表示に含める。)が認められ、そのいずれにも該当しない表示にい係るものを「その他」として、これらを表にすると、別表7のとおりになることが認められる。そして、これを前掲乙第三六号証の四九ないし五一の公表売上分類表と対比すると、別表7の六月七日の「その他」欄の金額(乙第九号証の公表売上勘定では「富士銀行長山あき子」と表示されているもの。)二万四九三〇円を「書留」に分類変更し、その余の「その他」欄の金額を店頭売上に分類変更すると、右両者間で販売形態別の売上はすべて一致する(ただし、乙第三六号証の五一によれば、右公表売上分類表の裏地の配達売上の合計金額五一万九六二五円は六月三〇日分の四万二九五三円の算入忘れがあることが認められるので、これを五六万二五七八円と訂正すべきであり、したがつて、裏地を含めた配達売上の金額も一四六五万七七八六円と訂正すべきことになる。)、また、竹井が本店について販売形態別、男女物別に売上金額を記載した竹井ノートを作成していたことは、当事者間に争いがなく、前掲乙第一〇号証によれば、その昭和五二年六月三〇日の欄の販売形態別の売上金額の合計額は、「店頭配達」が二三八九万五六五一円、「書留代引」が一四〇八万八〇一五円、「納品書」が一三万〇八五〇円、「出張」が四〇万九七〇〇円であることが認められる。そこで、これを前掲乙第九号証の公表売上勘定と比較すると、別表6記載のとおりとなり、竹井ノートの「店頭配達」は公表売上勘定の「店頭」と「配達」を合計した金額(別表7の当初分類による額)と一致し(したがつて、竹井は竹井ノート作成時は別表7の「その他」欄について、これを店頭売上として把握していなかつたものと判断される。)、竹井ノートの「納品書」、「出張」もそれぞれ公表売上勘定の「主張」「売掛金」と一致する。ただ、「書留代引」については公表売上勘定の「書留」「振入」の合計額との間で開差が生じているが、証人竹井豊美の証言によれば、書留代引売上については、竹井ノートが商品出庫時に売上計上するのに対して、公表売上勘定は現実に入金があつたときに売上計上するため、誤差が発生することがあつたことが認められるから、右の開差もこれが原因であると判断される。また、竹井ノートと公表売上分類表を被告が指摘する昭和五二年一〇月分について比較すると、前掲乙第一〇号証、第三六号証の六一によれば、別表8の1記載のとおりとなることが認められ、やはり書留売上を除いて一致している。そして、この書留売上についての食い違いも、売上計上時期の差異によるものと考えられる。
なお、昭和五二年一〇月の前後の月についても比較してみると、前掲乙第九号証、第三六号証の五八、六四によれば、別表8の2のとおりとなり、やはり、書留売上を除いては一致している(一部集計の誤りと認められるものを除く。)ことが認められる。
そうすると、竹井ノートは、本店の売上についても公表売上を記載したものであると認めることができる。
これに対して、原告は、竹井ノートが仕入の指針とするために記載された部内資料であり、したがつて、これと公表売上勘定との間に開差が生じているのであり、また、仮に、売上除外があつたとすると、部内記録である竹井ノートの方に除外額が記載されてより大きな数字を示すはずであると主張する。しかしながら、竹井ノートについては、これが原告の主張するとおり仕入れ指針のために作成されたものであるとしても、前認定のとおり、これは書留売上に関する部分を除き公表売上勘定と一致しており、書留売上に関する部分の開差についてもその原因は右認定のとおりであり、また、売上除外に係る金額が必ず竹井ノートに記載されるとは限らないものであるから、この点の原告の主張は失当である。
(2) 次に、吉村手帳の「G. V表」に、別表3記載のとおりの数字、外国文字等が記載されていることについては当事者間に争いがない。
そこで、「G. V表」の数字、前掲乙第三六号証の二ないし一四四により認められる公表売上分類表の本店についての昭和五〇年七月から昭和五五年一月までの各月毎の売上金額を万円未満で切り捨てた数字(以下この項において「公表売上分類表の数字」という。)、前掲乙第一〇号証により認められる竹井ノートの同期間の本店の売上金額を万円未満で切り捨てた数字(以下この項において「竹井ノートの数字」という。)及び吉村手帳の「A. KONTO表」の同期間の「2欄」記載の数字(ただし、昭和五二年版で上下二段に数字が記載されているものについては、その上段の数字。以下この項につき同じ。)とを対比すると、別表9記載のとおりとなることが認められる。右表によれば、「G. V表」の数字は、公表売上分類表の数字又は竹井ノートの数字と「A. KONTO表」の該当する「2欄」記載の数字とを合計した数字と、昭和五一年七月、一〇月、昭和五三年六月を除き一致している(がだし、一万円の開差が生じている月もあるが、これは万円未満の数字の処理の仕方による誤差と評価するのが相当であるから、これも一致するものとして扱うことができるものというべきである。)そして、一致しない月のうち、昭和五一年七月及び一〇月については、同表の記載及び弁論の全趣旨によれば、単なる計算違いである可能性が強いものと認められ、昭和五三年六月については、乙第四号証の二、三、証人吉村徹穂の証言及び弁論の全趣旨によれば、これは単なる記載間違いである可能性が強いことが認められ、これらのことを総合すると、吉村手帳の「G. V表」記載の数字は、本店の公表売上の万円未満を切り捨てた数字と吉村手帳の「A. KONTO表」の「2欄」記載の数字とを合計したものと認めることができる。
(3) また、吉村手帳の「A. KONTO表」の「4欄」記載の数字については、原本の存在とその成立につき争いのない乙第一ないし第五号証の各三、その方式及び趣旨により公務員がその職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべき乙第二三号証の二、及びこれにより成立が認められる同号証の三ないし九、証人野口幸敏の証言によれば、吉村手帳の「A. KONTO表」の各「3欄」はいずれもその前年度の「4欄」記載の数字と一致するものであること(ただし、昭和五四年版の「3欄」の一二月分を除く。昭和五三年版の「4欄」の一二月分は記載がないが、他の記載との対比から、同欄に記載されるべき数字は昭和五四年版の「3欄」の一二月分と同じであると認められる。)、伊東禮介は、昭和四六年ころから昭和五五年四月ころまで、大阪に本店がある吉村商会の名義上の代表取締役であつたが、実質的な経営者は吉村徹穂であつたことから、吉村商会の毎月の売上を月末に東京の吉村徹穂まで電話で報告していたこと、伊東禮介は吉村徹穂の指示により同商会の売上を除外し、その金額を同様に、吉村徹穂または森幸平に報告し、その簿外現金を吉村徹穂あて送金していたこと、伊東禮介が売上除外額として説明している乙第二三号証の三ないし九に記載された左の金額は、吉村手帳の「A. KONTO表」の「4欄」記載の数字(昭和五三年一二月分については、前記のとおり同欄に記載されるべき数字と等しいと認められる昭和五四年版の「3欄」の数字。)と昭和五三年六月を除き一致していることが認められる。
<省略>
(注)昭和五三年一二月分のみ昭和五四年版の「3欄」記載の数字である。
右認定に反する証人吉村徹穂、同森幸平の各供述部分は信用することができない。
また、この点について、原告は、「A. KONTO表」の「3欄」、「4欄」記載の数字は伊東禮介から東西通商の関西における仲介成約高であるとして報告を受けて記載したものであると主張し、また、仮に吉村商会において売上除外があつたとしても、それは伊東禮介が売上金を不法に領得するために行つたものと推測されると主張し、右主張に沿うかのような証人吉村徹穂、同森幸平の各供述部分が存在するが、前認定事実に照らし、右各供述部分は信用できず、原告の主張は到底採用できない。
そうすると、吉村手帳の「A. KONTO表」の「4欄」記載の数字は吉村商会の売上除外額を示すものであると言うことができる。
(4) 以上のとおり、<1>本店の公表売上額と認められる竹井ノート又は公表売上分類表各記載の数字とこれに対応する各月の「A. KONTO表」の左側の「D. J」欄又は「D. JR」欄(昭和五二年版の上下2段の記載がある部分については、上段部分。以下、同じ。)記載の数字とを合計した数字がこれに対応する各月の「G. V表」の数字と一致すること、<2>「A. KONTO表」の昭和五二年版の左側の「D. J」欄において、同上段記載の数字が、前記のとおりラスパイユ店に係る売上除外額と認められる同下段記載の数字と合計され、さらに、昭和五三年版の同表「1欄」においては、その合計額のみが表示されており、このような取扱いからすれば、右上段の数字と下段の数字が同種性格の数字であることがうかがわれること、<3>「A. KONTO表」の他の欄(別表1の「3欄」「4欄」)にも他店に係る売上除外額が記載されていること、<4>ラスパイユ店については、同店に係る実際売上額を記載した「K. V表」が吉村ノート中に存在すること、<5>「A. KONTO表」、「G. V表」各記載の数字について、原告において合理的な説明がされていないこと、といつた事実を認めることができ、これらの事実を総合すれば、「A. KONTO表」の左側の「D. J」欄又は「D. JR」欄記載の数字は、本店に係る売上除外額を、「G. V表」は本店に係る実際売上額をいずれも万円単位で記載したものと推認するのが相当である。
四 原告の在庫帳に関する主張について
原告は、本店においては、商品管理を在庫帳に基づいて正確にしているから、売上除外はあり得ないと主張し、在庫帳(甲第五号証の一ないし五)の昭和五五年六月三〇日付け在庫調の記載が、「55・6・30現在夏婦人在庫高」(甲第四号証)の該当商品の記載と一致し、右「55.6.30現在夏婦人在庫高」の総合計金額は、原告の五五年六月期の確定申告書類中の棚卸商品明細書(甲第三号証の二)の「55年(夏)婦人物」の金額と一致すること、及び、東京から大阪に送られた商品に係る「大阪東京商品送受確認表」(甲第六号証)の品番三〇六五の一の商品に関する東京の在庫帳(甲第五号証の五)の記載と大阪の在庫帳(甲第七号証)の記載とが一致すること、さらに、東京の在庫帳(甲第五号証の二ないし四)の記載と売上伝票(甲第八号証)の記載とが同一品番の商品について一致していることを指摘し、原告の在庫帳は、その記帳の態様、保存形態、記帳の継続性等からみて、正確性と真実性が担保されていると主張する。
確かに、原本の存在とその成立につき争いのない甲第三号証の三、証人森貢の証言により成立が認められる甲第四号証、第五号証の一ないし五、第六号証、第八号証、第二一号証の一ないし七、及び証人森貢、同森幸平の各証言によれば、原告が指摘する各帳票の記載が一致することが認められるが、右甲第五号証の一ないし五の在庫帳自体の記載内容を子細に検討すると、別表一四記載のとおり、在庫帳の計算上の残高と実地棚卸との間にかなりの食い違いが生じていること(例えば、甲第五号証の一の品番三〇〇〇の一、二、三、五、六、同号証の二の品番三〇〇七の一、二、同号証の品番三〇〇九の三、同号証の四の品番三〇五七の一、同号証の五の品番三〇六五の一の各五月三一日の残高など)が認められ、かつ、証人森貢の証言によれば、実地棚卸については、社員が不慣れなため、検反が不正確であつたことが認められるのであり、これらの事実からすると、在庫帳の記載が正確であつたという原告の主張は、これを認めることができないものというべきである。
なお、この点につき、原告は、実際の在庫量と帳簿上の記載とは、メーカーの商品の余裕幅、裁断の際の余裕幅等により、多少の誤差が生じることは当然であるから、実地棚卸による残高数量とわずか一・三七パーセントに過ぎない誤差があるからといつて、在庫帳の記載が不正確であるとはいえないと主張する。
しかしながら、前掲甲第五号証の一ないし五、第二一号証の三、四、六により認められる別表一四のとおり認められる右誤差の状況によれば、一メートル未満の誤差しかない品番の商品がある反面、五メートル以上の誤差がある商品が一〇品目、うち一〇メートル以上の誤差のあるものが五品目に及んでおり、また、誤差を出庫計で除した率で見ても、一パーセント未満の誤差しかないものが九品目ある反面、一五パーセントを超える誤差のあるものが六品目に及んでおり、このことは、単に商品の余裕幅や裁断の際の余裕幅による誤差のみで説明できるものとは考えられず、その他の原因があるか、あるいは在庫帳の記載が正確にされている商品があるものの、不正確なものがかなりあることを示すものというべきである。したがつて、在庫帳の記載がすべて正確であることを前提とする原告の主張は採用することができず、原告の右在庫帳に関する主張をもつてしては、前記売上除外が存在したとの認定を左右することはできないものといわなければならない。
五 売上除外額について
以上の認定事実によれば、原告は、五一年六月期から五五年六月期までの間売上を除外して確定申告をしていたことになり、その売上計上漏れの金額は、左記のとおり、五一年六月期から五四年六月期までは別表1の「A. KONTO表」の該当年分の各「2欄」記載の数字の合計を万円単位にした額であり、五五年六月期については、成立に争いがない乙第二二号証及び証人野口幸敏、同森幸平の各証言によれば、昭和五四年一二月及び昭和五五年一月分の切り離し売上伝票に係る金額合計四七三万〇九三〇円が同年二月二九日付けで公表帳簿に一括計上されていることが認められるから、「A. KONTO表」の「2欄」記載の数字の合計から右四七三万〇九〇三円を控除した金額であると認めることができる。
五一年六月期 六一三三万円
五二年六月期 七五六七万円
五三年六月期 六九九二万円
五四年六月期 四五七六万円
五五年六月期 八一〇万九〇七〇円 (一二八四万-四七三万〇九三〇円)
3 本件取消処分について
2で認定した事実によれば、原告は売上伝票の一部を破棄するなどして、各事業年度において多額の売上金を除外していたものであり、その売上が除外された帳簿に基づき、所得金額を過少に記載した確定申告書を各年度において被告に提出していたものであるから、右行為は法人税法一二七条一項三号に該当するものというべきであり、したがつて、被告のした本件取消処分は適法である。
4 本件更正処分について
一 請求原因3の各事業年度の所得金額の計算のうち、当事者間に争いがない項目及び売上計上漏れを除くその余の項目について判断する。
二 価格変動準備金積立額否認(五一年六月期、五二年六月期、五五年六月期)、価格変動準備金戻入益否認(五二年六月期、五三年六月期)について
原本の存在とその成立につき争いのない甲第九号証の二ないし七によれば、原告は、五一年六月期において四四六万六一三三円、五二年六月期において五四四万九八二二円、五五年六月期において三九〇万円の各価格変動準備金積立額を計上し、その翌年度においてそれぞれこれを戻入益に計上していることが認められる。
ところで、原告に対して昭和五六年六月五日付けで本件青色申告の取消処分がされていることは、当事者間に争いがなく、3で認定したとおり、右処分に違法はなかつたのであるから、原告は、昭和五一年法律第五号による改正前の租税特別措置法五三条に定める価格変動準備金の摘要要件である「青色申告書を提出する法人」に該当しないことになつたものというべく、したがつて、右価格変動準備金を積み立て、又はこれを戻入する処理はできないことになるから、これらをいずれも否認した被告の処理は適法である。
三 繰越欠損当期控除額否認(五五年六月期)
前掲甲第九号証の四ないし六によれば、原告は五五年六月期において、繰越欠損金の当期控除を行つているが、その欠損金が生じたとして申告している五三年六月期、五四年六月期は、本件更正処分により欠損金が生じないことになつたものであるから、五五年六月期における右控除を否認した被告の処理は適法である。
四 そうすると、被告の別紙第二の1ないし5の各表の計算ないし処理は、いずれも正当であり、何等違法とする点は見い出せないから、結局、本件更正処分は適法であることに期する。
5 本件各重加算税の賦課決定処分について
2で認定したとおり、原告は、売上額の一部について、売上伝票を破棄するなどして公表売上帳簿に計上せずにこれを隠蔽し、その隠蔽したところに基づき各確定申告書を提出していたものであるから、これは、国税通則法六八条一項に該当するものというべきである。したがつて、同項の認定に基づき、重加算税の基礎となる税額に一〇〇分の三〇の割合を乗じて計算した金額に相当する重加算税をそれぞれ賦課決定した被告の処分は、いずれも適法である。
三 よつて、被告の各処分はすべて適法であり、原告の各請求はいずれも理由がないから、これを却下することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟表八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 宍戸達徳 裁判官 中山顕裕 裁判官 山崎恒は転補のため署名押印できない。裁判長裁判官 宍戸達徳)
別紙第一
1 五一年六月期
<省略>
2 五二年六月期
<省略>
3 五三年六月期
<省略>
4 五四年六月期
<省略>
5 五五年六月期
<省略>
(注) 「確定申告」欄の所得金額は、繰越欠損金七、四五二、〇三七円を控除した後の金額である。
別紙第二
1 五一年六月期
<省略>
2 五二年六月期
<省略>
3 五三年六月期
<省略>
4 五四年六月期
<省略>
5 五五年六月期
<省略>
別表1. A. KONTO表
<省略>
(注) 各年版の表題及び各欄の表示は次のとおりである。
<省略>
別表2. K. V表
<省略>
(注) 各年版の表題及び各欄の表示は次のとおりである。
<省略>
別表3 G. V表
<省略>
(注) 各年版の表題及び各欄の表示は次のとおりである。
<省略>
別表4
ラスパイユ売上対照表(川村ノートと公表売上勘定)
<省略>
ラスパイユ売上対照表(川村ノートと公表売上勘定)
<省略>
ラスパイユ売上対照表(川村ノートと公表売上勘定)
<省略>
ラスパイユ売上対照表(川村ノートと公表売上勘定)
<省略>
ラスパイユ売上対照表(川村ノートと公表売上勘定)
<省略>
ラスパイユ売上対照表(川村ノートと公表売上勘定)
<省略>
ラスパイユ売上対照表(川村ノートと公表売上勘定)
<省略>
ラスパイユ売上対照表(川村ノートと公表売上勘定)
<省略>
ラスパイユ売上対照表(川村ノートと公表売上勘定)
<省略>
ラスパイユ売上対照表(川村ノートと公表売上勘定)
<省略>
ラスパイユ売上対照表(川村ノートと公表売上勘定)
<省略>
ラスパイユ売上対照表(川村ノートと公表売上勘定)
<省略>
ラスパイユ売上対照表(川村ノートと公表売上勘定)
<省略>
ラスパイユ売上対照表(川村ノートと公表売上勘定)
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ラスパイユ売上対照表(川村ノートと公表売上勘定)
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ラスパイユ売上対照表(川村ノートと公表売上勘定)
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ラスパイユ売上対照表(川村ノートと公表売上勘定)
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ラスパイユ売上対照表(川村ノートと公表売上勘定)
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別表5
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別表6 昭和52年6月分 各種帳簿等対照表
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別表7 昭和52年6月分公表売上勘定(乙第9号証)売上態様別集計表
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別表8の1
昭和52年10月分竹井ノートと本店公表売上勘定との関連
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別表8の2
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別表9 本店売上についてのG. V表照合表
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(注) A KONTO表の昭和52年の数字は上段の数字である。
別表10 小口現金売上分類表
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(注) 公表売上勘定(乙9)の53年3月10日の記載中「現金 大丸 12,090円、現金 ヨスパイユ 284,302円」とあるのは、公表売上分類表の53年3月分の記載(乙36の76ないし78)によれば、53年3月10日のラスパイユ店の配達売上の金額は12,090円(乙36の78)であり、一方、同日の本店の配達売上の金額は694,117円(乙36の77)で公表売上勘定の同日の配達売上「現金 丸神 409,815円」とは284,302円の差があることから、「現金 ラスパイユ 12,090円、現金 大丸 284,302円」の記載誤りと認められる。
別表11 <各種帳簿書類比較表>
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別表12 公表売上勘定等明細
昭和52年6月
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昭和52年6月
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昭和52年7月
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昭和52年7月
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別表13 売上明細検討表
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注1 公表売上勘定(乙第9号証)の「現金ラスパイユ」のうち、7月11日分14,500、7月13日分14,820、7月19日分13,765、7月23日分11,875の合計54,960(いずれも「現金その他売上」)は、乙第36号証の54の公表売上分類表によれば、「銀行ラスパイユ」に分類されるべきものと認められるので、「現金その他売上」からこれを控除し、「銀行ラスパイユ」に加算した。
注2 公表売上分類表の7月14日の「店頭」362,850は、乙第9号証の公表売上勘定の7月14日の「富士銀行 佐藤75.840」の記載及び乙第7号証の3の売上明細の記載によれば、これはラスパイユ店の「銀行ラスパイユ」に含まれるものであり、したがって、配達売上に分類されるべきものと認められるので、これを「店頭」から控除し、「配達」に加算した。
注3 乙第36号証の54の公表売上分類表の7月15日分31,250は乙第9号証の公表売上勘定の同日の記載によれば、未収入金代行に分類すべきものであると認められるので、「配達売上」から控除して「代引売上」に加算した。
注4 公表売上勘定と川村ノートとの誤差7月15日分450、7月20日分400、7月21日分450、7月26日分400の合計1,700は、帳簿の性格、記載の仕方を総合すると、公表売上勘定が正しいものと認められるので、これに一致させた。
別表14
在庫帳の誤差表
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